以下、ノートPCに残ってる書きかけの文とか。自分でも何が言いたいのか分からなかったりするやつ。日記書きが遅れた穴埋め。
 
自分のエゴがはっきりしてないと、他人のエゴに簡単に食い荒らされる。
食われて死にたくないな。
 
プライベートでは好きなことしかしないとか言ってるけど、プライベートな場ってどこだろう?
例えば家族と一緒のときの自分はプライベートな自分なのか?違う気がする。押し付けられたいい子ちゃんのイメージに従ってるし。
会社は言わずもがな。
 
埋められない隙間を別のことで埋めようとする行為が間違いの正体なんだろうか。
 
調子の悪いときの文章は、声色が違うと思う。声色、音色。音の色。
 
物理法則から自由になったらその瞬間体が存在できなくなる。って昔言った人がいる。
それまでそんな風に考えたことながかったから驚いた。
手を描くには、手の周りの空間を書くって言った人は誰だったっけ。
制限を受けているからこそ存在が成り立つとも言えるのか。
 
思考は言語によって規定されるか?
言葉にならない事を感じることもある。
このイライラするような焦るような何て言ったらいいか分からない気持ちは何だろう。と思っている人が、それは「もどかしい」だよ、と教わったとする。でも、その気持ちは言葉を知る前から存在していたものだ。
言葉をたくさん知るほど多くのことを感じられるというものでもないな。
でも言葉を知ってると、その事について思考するのが容易になるかもしれない。
てか、顕在化した思考自体が言語活動に近いのかも。
 
ファンタジーじゃあるまいし。名前を付けたぐらいで安心するなよ。
名を付ける事は、定義すること。存在を確定すること?
 
昔いらいらするとピアノ弾いてた。
最初、イライラした音が鳴っているのがだんだん落ち着いた音になって、そのうち気分も落ち着く。
私本人は無表情だとか感情を表に出さないとか言われてたけど、ピアノでは感情表現が豊かだと言われてた。
表現って技術だよな。
今ピアノ弾いても、下手すぎてイライラした音にすらならない。
あなたが好きよって伝えるにも、表現の技術が要る。
やさしくしたいと思っていても、表す技術が無いと伝わらない。
私は対人系の表現はかなりへたくそな方だと思う。
下手なりに気をつけて頑張んないと。
 
技巧に走りすぎるのが良くないのは、上手に嘘がつけるようになっちゃうからだろうか。